和歌山市土入(最寄駅は東松江駅)の美容室・ヘアサロンSinka hair(シンカヘアー)

<span class="marker">和歌山へ来るまでのヒストリー</span>

故郷

1980年4月22日、岩手県大船渡市にて、生を受けました。
父が転勤族でしたので、小学校を三つ通うことに。
結果的には色々な出会いや別れ、出来事を経験を出来たし、今では岩手から東京、そして和歌山へ来て、その地その地に順応する力が身についたのかな?と思うと、そういう意味では父に感謝です。

美容のキッカケ

何故僕が美容の道を志す事になったかと言いますと、大学受験に失敗したから...というのもありますが、高校時代にベランダで友人の髪をスキばさみですいて遊んでいたら、意外にも好評で、「こういう仕事も有りかなー。」と思った事が一つ。
もう一つは、ある美容師さんとの出会いからなんです。

高校当時、ファッションにも興味のない僕にとって『美容室』とは、髪が伸びたから切りに行く場所でした。

そんなある日、また髪が伸びたので、いつもの美容室へ行きました。
すると、いつもと違う美容師さんが担当でした。そしてカットを初めて約25分後、切り終えたようなので仕方なく目の前の鏡を見ると...み、短い...!
当時、おでこのニキビに悩んでいた僕はいつも、前髪を長めにしていましたが、今回は全体的にも短い。ショートヘアです。
しかし、最後にワックスでセットしてもらったら...ニキビは少し気になりましたが、前髪を上げ、今までにない自分がいました。

それからというもの、おでこを見せるようになり、変に自信がついたという記憶が今でも鮮明に残っております。
そして、ファッションにも少し興味を持ち始めました。それからの自分は少し外交的になり、明るくなったと思います。

長くなりましたが、まとめると、『髪を切る』という事が、外面的にだけではなく、内面的にも輝かせてくれる事なんだと。
この出来事が、美容への道へと導いてくれた事となったのは間違いありません。
あと、言い忘れましたが、『あんた、美容師になったら?』と、大学受験の失敗に落ち込む間も与えずに、この道を勧めてくれた母のおかげでもありますね。
ちなみに僕は、元々は小学校の教師になるつもりでした。

美容師になるまで

そして美容学校へ通い二年、何とか美容学校を卒業する事となり、有名サロンが連なる東京という新天地へ。
初めて働いたそのサロンは何店舗かあり、沢山の先輩方の技術をみる事が出来たので、大変でしたがとても勉強になりました。そしてようやく、一スタイリストになることが出来たのですが、中々お客様に携れわる機会がありませんでしたので、
六年間働いたサロンを退社し、前々から興味があった大手カツラ会社で半年間働きました。そして、改めて美容師という仕事の素晴らしさを再確認することが出来ました。
次に働くサロンは【経験】を積めるサロンと決めていたので、沢山のお客様に携わることが出来る低価格サロン二年間勤めました。
しかもそのサロンにはアシスタントがおらず、全て自分で仕上げるスタイルでしたので、これまた勉強になりました。
二年間勤務し、次に必要なスキルを身に付けるために新天地へ。

【技術】、【経験】、次に必要なスキルとは、【リーダーシップ】。
という事で、店長として次のサロンで三年間勤めました。
そしてこのサロンで働いている時に、今の妻と結婚。
この頃から将来を考え始め、最後に必要なスキルを習得するべく、東京最後の勤務地となる『ロンロ』へ。

ロンロでは最後に必要だと思っていたスキル【経営のノウハウ】を学びましたが、もう一つ、その時の僕に足りなかったスキルも教わりました。
それは、【一人間として、一美容師としての魅力】。
ロンロのオーナーは、僕の父と同年代で、少しふんぞり返っていた自分を謙虚にしてくれ、かわいがってくれました。

家族

ロンロにいる間にあった大きな出来事は、第一子の誕生。
お互いの実家が遠いので、物理的に中々頼ることが出来ず、あくせくしながらも三人で楽しく生活していました。
そして仕事的にも少し安定してきたそんなある日、妻のお腹に第二子、第三子が同時に宿っていました。想定外の一卵性双生児です!

妻に双子が妊娠していると分かってから、今までの生活が一変。
安定期にはいったものの、切迫早産ですぐに入院。
妻は、産まれるまでの間、ベッドの上で絶対安静でした。
という事で、長女は妻の実家での生活、僕は単身で今まで通りの生活...
という感じで家族三人がバラバラに生活する事になりました。


和歌山へ!

離れ離れになってからは、月に一度僕が和歌山へ行き、家族に会いに行きました。
そして、ついに双子誕生!しかし、喜びも束の間、やはり双子の出産は大変だったみたいです。
産まれたのは32週。まだ肺も出来上がってません。予定よりも約二ヶ月早かったのです。
特に下の子は仮死状態で産まれ、ギリギリのところで蘇生。
予断を許さない状態での誕生。
最初は三日と言われ、生死を彷徨いました。
後遺症などの事も沢山言われました。
後ろ髪を引かれる思いでの東京へとんぼがえり。
(生死を彷徨った双子は、今のところなんの後遺症もなく、無事に5歳になりました)

双子が生まれてから一か月後、また僕は和歌山へ。
楽しみ半面、双子への不安を抱えながらの訪問でした。
そして、双子が頑張って育っているのを見て、子供たちを守らなきゃな、と思いました。
それと同時に、決意しました。

和歌山で家族皆が安心して暮らせるように頑張ろう』と。

この時に本格的に、和歌山行きが決定しました。

色々な感情がありましたが、和歌山行きを前向きにさせてくれたのは、お店を持つことが出来た事。
それには妻の両親の力が無ければ叶えられなかった事です。
感謝ですね本当に。

そして2015年3月29日、和歌山にて、≪Sinka hair≫誕生。

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